転職体験談

公立高校から国立大附属高校へ転職した話|現役教員のリアル体験談

どうも!こんにちは、1児の数学教師です。(^o^)/
今から限りある人生の過ごし方についての授業を始めたいと思います。

「教員の転職って実際どうなの?」
「動いた人は、何を考えて、どうやって動いたの?」
「失敗したら取り返しがつかないんじゃないの?」

転職を考えたとき、こんな風に「本当のところ」が知りたくなりませんか。

その気持ちは本当によくわかります。

ネットには一般論があふれていますが、実際に動いた人の生々しい話はなかなか見つかりません。

だから今回は私自身の転職体験談です。

公立高校の教員から国立大附属高校へ移った一部始終。

かっこいいサクセスストーリーではありません。

遠回りも、遠慮も、不安も、全部そのままお話しします。

こまかい話に入る前に、結論からお伝えします。

結 論

人生は1回しかない。
やりたいことがあるならチャレンジした方がいい!

これに尽きます

チャレンジしなければ成功も失敗もありません。

そして失敗したとしても死ぬわけではありません。

ありきたりな言葉に聞こえるかもしれません。

でも、教員13年目でようやく一歩を踏み出した私はこれを実感として言えます。

自分のやりたいことをやらないと自分の人生が可哀想。

この記事では、

  • 私が何に悩み、何ができなかったのか
  • どうやって動き、何がきっかけで人生が変わったのか
  • 転職して良かったこと、転職して大変だったこと

を、正直にお話しします。

ぜひ最後まで読んで、明日から実践できるヒントをつかんでください。

私は公立高校で10年以上勤務し、国立大附属高校へ転職しました。

私のプロフィールに興味のある方はコチラ→🔗1児の数学教師ってどんな人?

今回の授業のテーマは【私が公立高校から国立大附属へ転職したリアルな体験談】です。

この記事を書こうと思ったのには理由があります。

教員の転職について発信している方の多くは「元教員」です。

学校を離れた人が、外から振り返って語っている。

それはそれで価値があります。

でも私は、今も現場にいます。

だから、きれいごとを言えません。

転職して手に入れたものも、失ったものも、まだ生々しく覚えています。

「動いてよかった」と思う瞬間もあれば、「あのころのほうが楽しかったかも」とふと思う日もあります。

そういう心の揺れも含めて、正直に書きます。

そしてもう1つ。

私は特別に優秀な教員ではありませんでした。

むしろ、13年間ずっと「やりたいことができない」とモヤモヤを抱えたまま、我慢して働いてきた側の人間です。

もし今、みなさんが「このままでいいのだろうか」と感じているなら、私の13年間は、そのまま鏡になると思います。

みなさんが自分の一歩を踏み出すヒントになるように。

まずは一緒に、私が何に悩んでいたのかから振り返っていきましょう。

13年間、やりたいことに手が届かなかった話

まずは私が何に悩んでいたのかをお話しします。

ここがすべての出発点です。

進学指導がしたいのに生徒指導に追われる毎日

私はもともと、進学指導・受験指導がしたくて教員を目指しました。

数学をわかりやすく教えて、

 ✅️数学が苦手な生徒の苦手意識を払拭する
 ✅️数学の力で生徒の進路を切り拓く手伝いをする

というようなことがしたかったんです。

でも、実際に勤務してきた学校は、進学指導よりも生徒指導が重視される学校でした。

今でも忘れられない光景があります。

授業準備で残業していた18時ごろ、学校の近くの住人や飲食店から電話が入ります。

「おたくの学校の生徒がタバコを吸っている」と。

そこから生徒を呼び出して、聞き取り、指導、保護者連絡。気づけば20時。

そのとき私は、思ってしまったんです。

「何のために教員になったのだろう?」

わからない問題の質問対応や、受験指導の準備で20時まで残っているなら納得できる。

でも、学校に不義理をしている生徒の対応に時間を使うのは、当時の私には無意味な時間に感じられました。

他にもバイク通学をしているという生徒の指導するために、朝7時頃に学校近くのスーパーで待機していたこともありました。

その生徒がバイク通学をしていることを立証するには、現場を押さえる(現行犯)必要があります。

生徒が来るであろう1時間前から現場で待機をしていたときは「これって警察のやることだよね」と思っていました。

ただ、あの時間は無駄ではなかった

誤解のないようにお伝えすると、今はあの日々を否定していません。

生徒指導の大切さや、学校に気持ちが向いていない生徒の心をもう一度学校に向けさせるスキル。

これは、教員として本当に重要なものでした。

そして何より、その学校を良くするために一緒に悩み、頑張ってきた同僚の先生とは、同僚を超えた『仲間』として、今でも交流が続いています。

お互いに刺激を与え合える大切な存在です。

でも、それでも。

「やりたいことができていない」という渇きは、ずっと消えませんでした。

ちなみに当時の私は独身で実家暮らし。

だから20時までの生徒対応もできました。

結婚して子どもがいる今なら、はっきり言えます。

勤務時間を超えてまで生徒指導に対応することはもうできません。

言い方は適切ではないかもしれませんが、生徒は所詮「他所(よそ)の家の子ども」です。他所の家の子どもに際限なく時間を使うくらいなら、自分の家の子どもに時間を使うのが親としての使命だと思っています。

数学パパ

「何のために教員になったのか」。この問いから目をそらさないでください。

希望を伝え続けても、変わらなかった13年

私の教員としての歩みを正直に並べます。

・大学4年生のときに受験した教員採用試験は不合格
・大学卒業後:偏差値48くらいの高校で非常勤講師(1年)
・その翌年から:偏差値38の教育困難校で常勤講師(2年)
・3年目にようやく教員採用試験に合格
・配属先は、地元No.1の教育困難校(ここで6年勤務)
・異動願いを出し続けて、ようやく実現した異動した先は「スポーツが盛んな偏差値48くらいの学校」

少しずつ前には進んでいます。

でも、見てください。

「進学指導がしたい」と思って教員になった人間のキャリアとしては、ずっと願いに手が届いていないんです。

人事面談では、校長に「異動するときは進学校に行きたい」と毎年のように伝えていました。

それでも6年たって出た異動先は進学校ではありませんでした。

「希望を伝え続ければ、いつか叶う」

そう信じたいところですが、現実には、ただ待って、ただ伝えるだけでは、叶わないこともあります。

数学パパ

真面目に待つだけでは、変わらないことがある。これも現実です。

人生が動いた「翌日」の話

ここからが、この記事で1番お伝えしたい部分です。

13年間動かなかった状況がたった1日で動き始めました。

転機は、人事面談と「妻のひと言」

転機が来たのは2校目に移って4年目のときでした。

当時の私は1年生から持ち上がっていた3年生の担任をしており、その学年が卒業した翌年からは「学校の中心となって働くこと」を期待されているのを感じていました。

ありがたい話です。

でも、私の中の「進学指導がしたい」は、まだ消えていませんでした。

9月の人事面談で、私は校長にこう伝えました。

「学校の中心となって頑張らないといけないことは理解しています。でも、もっと進学指導のできる学校に転勤したいです」と。

ここで少し説明すると、私の勤務していた自治体には学校ごとに、全日制(その中でも普通科や特別学科)・定時制・通信制といった「区分」があり、「初任からの3校で違う区分を回る」というルールがありました。

私はそのルールに沿って「次に行けそうな区分」の中から、無難な進学校の名前を伝えたんです。

本当に行きたい学校は別の区分にあったのに、です。

その日、家に帰って、妻にその話をしました。

すると妻は、こう言いました。

「行きたい学校があるなら、今の区分なんて関係なく、学校名を伝えるべきだよ。
3つ回らないといけないルールがあっても、そんなルールはあるようでなかったりする。
明日もう一度、校長先生に『本当に行きたい学校は◯◯です』って言いに行き!」

強烈でした。

でも、その通りだと思いました。

翌日、私は校長にもう一度時間を取ってもらい、正直に伝えました。

「ルール上の希望はこうだけれど、本当は別の区分のトップ校に行きたいと思っています。」

そして、思い切ってこう続けました。

「できることなら、国立大附属高校でも勤務してみたいです。」

数学パパ

人生を変えるのは、いつだって「声に出す勇気」です。

正直に話したら道が開いた

すると校長から、思いもよらない言葉が返ってきました。

「異動先に、国立大附属の高校もあるよ」

……えっ?

どうやら以前の職員会議で「異動先にはこういった場所(教育庁、国立大附属など)もあります」という説明があったようなのですが、私自身がよく話を聞いていませんでした(笑)

チャンスの入り口は、意外と日常の中に転がっていたんです。

校長はこう続けてくれました。

「ただ、私自身、今までの勤務校でそこを希望した先生がいなかったから、どんな試験があるのか、どういった手続きがあるのかわからない。でも、君が希望するなら問い合わせてみる」

正直に気持ちを話した翌日に道が動き始めました。

国立大附属からの返事は「上から目線」だった

校長が問い合わせてくれた後、国立大附属から来た返事はこうでした。

「空き枠があるかどうかは、今の時点では回答しない。枠があれば連絡するが、枠がなければ連絡はしない」

正直、「えらく上から目線だな」と感じました(笑)

連絡が来るかもわからないまま待つ日々。

そして12月。

校長に呼ばれて、告げられました。

「国立大附属で、面談があるよ」と。

9月に正直な気持ちを伝えてから、3か月後のことでした。

数学パパ

口に出したら3か月で人生が動きました。口に出さなければ、ゼロのままでした。

不安だったこと、そして「引き止め」の話

転職活動で1番不安だったのは、自分の授業力が国立大附属で通用するのか、でした。

国立大附属高校のホームページで卒業生を見ると有名人ばかり。

進学先も毎年のように東京大学、京都大学をはじめとする難関大学、医学部へ進学している生徒がいました。

それまでの私は、偏差値50未満の学校でしか授業をしたことがありません。

そういう生徒たちに、満足度の高い授業ができるのか。

この不安は、面談の日までずっと消えませんでした。

同じ不安を持つ先生は多いと思います。

「今の学校でしか通用しないのでは」という不安。

でも、結論を先に言うと、やってみたら道は開けました。

そして、公立を離れることについて、気まずさや引き止めはまったくありませんでした。

それどころか「もし国立大附属の選考がうまくいかなければ、この学校で生徒会(学校行事を運営する分掌)の長をお願いしたい」と言ってもらえていました。

挑戦を応援してくれて、うまくいかなかったときの椅子まで用意してくれている。

ありがたいな、と心から感じました。

挑戦しても失うものはなかったんです。

数学パパ

挑戦する人を、周りは意外と応援してくれます。

転職して実際どうだったのか【正直な光と影】

2020年4月、私は国立大附属高校に着任しました。

良かったことも、大変だったことも、あのとき動いてよかったと感じることもすべて正直にお話しします。

転職して良かったこと3選、大変だったこと2選

転職してよかったこと【3選】
  1. 働き方が変わり子どもとの時間が取れた
  2. 念願の「進学指導」ができた
  3. 公立では得られなかった力がついた

よかったこと①:働き方が変わり子どもとの時間が取れた

勤務時間がガチガチに決められているわけではなく、ある程度自由な出退勤が認められていました。

このおかげで子どもとの時間が取れるようになりました。

「他所の家の子ども」ではなく「自分の家の子ども」に時間を使える働き方にやっと出会えたんです。

よかったこと②:念願の「進学指導」ができた

教員を志したときからの願いが、ようやく叶いました。

国立大附属高校の進学実績は難関大学が多いので、自分自身がそういった大学の問題に適応させるための努力は必要でしたがこれは大満足です。

よかったこと③:公立では得られなかった力がついた

全国の国立大附属高校に共通する部分ですが、国立大附属の校風は「生徒たちに自由な環境を用意し、生徒がやりたいと思ったことを何でもやらせてあげられる土台を用意する」という部分です。

最初は「生徒の自主性、主体性」をもとにした生徒の活動に半信半疑でしたが、そういった環境で生徒の活動を見守るなかで自分自身の教育観も変わりました。

その結果、自分の子どもにどういった学校に通わせるのがいいのか、というような視点も生まれました。

さらに、

 ✅️生徒の海外研修に同行する
 ✅️大学院に無償で通える
 ✅️研究費の助成を受ける
 ✅️論文を執筆する

という機会にもつながりました。

そんな環境で試行錯誤するうちに、自分の授業力は数段向上したと感じています。

公立高校で勤務していれば、培われなかった力です。

転職して大変だったこと【2選】
  1. 着任した年が「コロナ元年」だった
  2. 「求められる」授業が違った

大変だったこと①:着任した年が「コロナ元年」だった

いいことばかり書くのはフェアではないので大変だったことも正直に書きます。

私が着任した2020年はコロナ元年と呼ばれる年でした。

前述しましたが、国立大附属高校には本来、生徒のやりたいことをさせてあげられる土台があります。

しかし、

 🌀感染症対策
 🌀ソーシャルディスタンス
 🌀三密回避

などで、学校行事をはじめとした学校生活全体に制限がかかっていました。

その結果、生徒のやりたいことをほとんど実現させてあげられませんでした。

これが1番つらかったです。

しかも、学校行事を担当する分掌の中心を任されたのに「これまでを参考にすると」という前年・前々年の前例がいっさい参考にできない年でした。

大変だったこと②:「求められる授業」が違った。適応に4〜5年

想像と違ったこともあります。

国立大附属の生徒は、実は「進学指導」を求めているわけではありませんでした。

彼らが求めていたのは「わかりやすい授業」よりも「興味関心を惹き、探究心を深めてくれる授業」。

私はそういう視点で授業を組み立てたことがなかったので、そういった授業をするのにめちゃくちゃ苦労しました。

結果として、自分自身でそういった授業をするのに4〜5年かかりました。

転職にはこういう「適応のコスト」が確かにあります。

でも、その苦労こそが前述した「数段向上した授業力」の正体です。

数学パパ

大変だったことと力がついたことは、だいたい同じ場所にあります。

「あのとき動いてよかった」と思う瞬間

この体験談の中で私の人生が動いた瞬間、ターニングポイントはどこだったか。

国立大附属の面談でも着任の日でもありません。

妻に「明日、校長先生にもう一度話を聞いてもらいに行き!」と強く言われて、その翌日に、自分の正直な気持ちを校長に話したときです。

あそこがすべての分岐点でした。

もしあの日、「ルールがあるから」と遠慮したままだったら。

私は今も「進学指導がしたい」という渇きを抱えたまま、異動の希望を出し続けていたかもしれません。

教員の転職の大原則

 ①転職は後出しジャンケンと同じ

 ②転職にはリスクがあるけど、転職活動はノーリスク

 ③学校現場に戻る道もある

「転職」と「転職活動」は、まったくの別物です。

転職活動は、いわば市場調査。

転職活動をしてみて良い話がなければ、今の学校に残ればいいだけです(ノーリスク)。

内定が出てから、行くか残るかを選べる。

だから「後出しジャンケン」なのです。

実際、転職活動をした結果、「今の仕事も悪くないな」と気づいて残る先生もいます。

それも立派な成果です。

 ・「選べる状態」で今の仕事を続けるのと、
 ・「ここしかない」と思って続けるのとでは、

心の重さがまったく違います。

数学パパ

分岐点は派手な場所にはありません。「正直に話す」という地味な一歩です。

よくある質問

Q. 公立から国立大附属への異動は誰でもできますか?

  • 自治体によって制度が違います。私の場合は、異動先の選択肢の中に国立大附属が含まれていました。まずは校長や管理職に「そういう道はありますか」と聞いてみるのが確実です。

Q. 転職して、年収は上がりましたか?

  • 大きくは変わりませんでした。私の場合、目的が「進学指導がしたい」だったので、年収より働き方とやりがいを優先しました。年収を上げたいなら、民間への転職のほうが可能性は高いです。

Q. 教員のまま環境を変えるのと、民間に出るのは、どちらがいいですか?

  • 「教員の仕事自体は好きだが、今の環境が合わない」なら、私のように教員のまま移る道があります。「教員という働き方そのものが合わない」なら、民間を検討する価値があります。

Q. 校長に希望を伝えて、評価が下がりませんでしたか?

  • 下がりませんでした。むしろ、うまくいかなかったときのポジションまで用意してもらえました。正直に伝えることを、必要以上に恐れなくて大丈夫です。

まとめ:私の体験談がみなさんの「一歩」になれば

公立高校から国立大附属高校への転職体験についてお話ししてきました。

最後にもう一度、この記事の結論をお伝えします。

結 論

人生は1回しかない。
やりたいことがあるならチャレンジした方がいい!

本当にこれに尽きます

私は13年間、待っていました。

人事面談で希望を伝え「いつか叶うだろう」と信じて。

でも、状況は変わりませんでした。

変わったのは、遠慮を捨てて、正直に口に出した翌日からです。

そのうえで、本文でお伝えした大事なことを、もう一度整理します。

まず、待っているだけでは変わらないことがあります。

私は毎年きちんと希望を出していました。

それでも6年経って出た異動先は望んだ場所ではありませんでした。

真面目に順番を待つことが、必ずしも報われるとは限らないのです。

そして、「本当の希望」は口に出さないと届きません。

私は自治体のルールを気にして無難な希望しか言えませんでした。

でも本音を伝えた瞬間、「異動先に国立大附属あるよ」という、13年間知らなかった情報が出てきたのです。

情報は動いた人のところにだけ集まります。

さらに知っておいてほしいのが、挑戦しても失うものはなかったということ。

私の場合、うまくいかなかったときのポジションまで用意してもらえました。

周りは挑戦する人を意外と応援してくれます。

そして最後に、転職には光と影の両方があるという現実です。

子どもとの時間も念願の進学指導も手に入りましたが、コロナ禍での制限や新しい授業スタイルへの適応に4〜5年かかるという苦労もありました。

いいことばかりではありません。

それでも、動いてよかったと心から思っています。

みなさんにも「本当はこうしたい」という気持ちが心のどこかにあるはずです。

それをルールや遠慮で小さくしないでください。

まずは口に出すこと。

信頼できる人に話すこと。

そして教員の転職の全体像を知ることから始めてみてください。

▶転職の全体像を知りたい方は完全ガイドへ

教員からの転職 完全ガイド【現役教員が全手順を解説】 ※この記事にはJACリクルートメントなどの転職サービスや退職代行などのプロモーションを含みます どうも!こんにちは、1児の数学教...

私はこのブログを通じて、多くの人に

 ✅️いつでも転職出来る状態にする
 ✅️やりたいことを仕事にする
 ✅️仕事を通して自己実現を目指す

ということが出来るようになってほしいと本気で考えています。

すべての働く人がいつでも転職できるだけの「市場価値」を持てたとしたら、みなさんの生き方すらも変わると断言できます。

ましてや、みなさんは教師として子どもたちに対して

「やりたいことがあるなら挑戦しよう」

「夢を叶えるために頑張ろう」

「人生は1回しかないよ」

というような話をしていると思います。

子どもたちにそういった話をしているみなさんが転職を考えたのなら、
それは挑戦するタイミングです。

教師が挑戦しないのに、子どもが挑戦するわけありません。

挑戦している教師の姿を子どもたちに見せることも教育の1つ。

人生は有限です。
働く時間は、その大半を占めます。

だからこそ、
「なんとなく続ける」のではなく、「選んで続ける」状態をつくること。

今すぐ辞めなくていい。
でも、今すぐ「知る」ことはできる。

みなさんの人生のハンドルは、みなさん自身が握っています。

民間への転職を考えるなら、私の妻もお世話になった転職エージェントに相談するのが第一歩です。

教員におすすめの転職エージェント比較【現役教員が4社厳選】 ※この記事にはJACリクルートメントなどの転職サービスのプロモーションを含みます どうも!こんにちは、1児の数学教師です。(^o...

これからも仕事を通して「目指すのは大好きな自分」を実現するための発信をしていきたいと思います。

ということで今日の授業を終わります。